(前月よりのつづき)

ステ-ジに現れたディランはなんと、まるでペテン師のようだった。
ペテン師でなければサ-カスの手品師だった。
長袖がひらひらとふくらんだ白い衣装。
ロック・スタ-というよりは、前フリの司会者。
今にも袖のふくらんだところから、ハトが飛び出しそうな雰囲気である。
この時点でわたしは、「ん?」と一拍、拍子がぬけた。

コンサ-トは淡々と進み、ディランはほとんどMCも入れず、
次々に曲をこなしていった。

驚いたことにほとんどの曲が、暫く聴いていないとどの曲かわからない位、
アレンジが変更されていた。
特にわたしが大好きだった「オ-シスタ-」や「コ-ヒ-もう一杯」などは
まるで原曲をとどめていないほどだった。
「ちょっと待ってくれ」
と思った。
「こんなんちゃうやん!」
と叫ぶ間もなく、耳慣れないレゲエの曲。
「ディランがレゲエ!新曲?」
1分間くらい聴いていると、そのレゲエは「くよくよするなよ」だった。

わたしは椅子からずっこけた。

そして開いた口が塞がらないまま、あれよあれよという間に
コンサ-トは終わってしまい(実際には2時間近くあったのだろうか?)
わたしはキツネにつままれて山奥の寺に置き去られた赤子のような気持ちで、
とぼとぼと畑の中の体育館をあとにする長い列の一人となっていた。

今思えば、かわいそうな大作少年は、
ディランの罠に見事にはまってしまっていたのだった。

アイム・ノット・ゼア…ですか…。

つまり、大作少年の期待していたディランは、もうすでにそこにはおらず、
その状況に対応するには、少年はあまりにも若すぎたのだった。

その後、ディランはさらに変貌を続けた。

クリスチャンとなって宗教色を強めていった。

ほどなく曲は、「主よ」とか
「神が我々を導いてくださる」とかいった歌詞ばかりとなった。

わたしはとうとうついていけなくなって、ディランを聴くのをやめてしまった。

そして、30年が経過した今頃になってである。

わたしは次のようなアルバムが出ていることを知った。

いや、このようなレコ-ドが出ている事はおぼろげには知ってはいたのだが、
これがまさかあの初来日公演の日本ツア-のライヴ盤だとは思っていなかった。
もし、このレコ-ドのタイトルが「武道館」ではなく
「畑の中の体育館」であったなら、
このような勘違いをすることもなかったのにと思う。
(ディランファンから、「今さらお前はアホか!」と言われそう…)

わたしは次のように思い込んでいたのだ。

 …あの煮え切らない初来日公演のライヴが、
  あんな「くよくよするなよ」をレゲエでやるようなふざけたコンサ-トが、
  レコ-ドになるわけがない、
  と。
  あのライヴ盤はもっと後になって再来日し、畑の中の体育館ではなく、
  ちゃんと、武道館で、
  もっときちんと演奏したのがレコ-ドになっているのであろう、
  と。

その勘違いに、何かの拍子に今頃気づいたわたしは
このレコ-ドを中古で購入し、恐る恐る聴いてみたのだ。
30年ぶりの再会、再聴である。

あの日のことが、まざまざと脳裏によみがえってきた。そして…。

良い。

ものすごく良い。

してやられた。

30年前のディランに、やっと今頃追いついたわたし。

ディランよすまぬ。やはりあなたはすごかった。

そんなディランが今は何をしているんだろうかと、ホ-ムペ-ジを覗いてみた。
67歳のディランはなんと、2日に1回くらいのペ-スでライヴをやっている。

脱帽…。


「武道館」  ボブ・ディラン 1978

初来日ツアー日程

手品師ディラン。
しかし、ハトは最後まででなかった。(そらそうだろ)

2008 7月
 ディランに会ったらよろしくと A