1977年。
15歳であった、わたしこと井形大作少年は、
ヤマハのポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)の
関西地区決勝大会に出場した。
その夜、大会に出場するバンドは、10組余り。
人数にしたら、40人以上はいたであろうか。
全員が一つの楽屋で待機させられていた為、
楽屋はすし詰め状態であった。
それぞれが自分たちの出番に備えて楽器の調整をしたり、
声の調子を整えたり、
自分たちが過去に行なったライブでの自慢話などを、
他の出場者を威圧する為であるに違いない不自然な大声でしゃべり合い、
転げまわらんばかりに笑いあったりなんぞして、
自分たちのスゴサを必死にアピールしているバンドもあった。
その中には、のちに大スタ-となった「世良公則とツイスト」の面々などもいて、
楽屋は熱気むんむん、煙草の煙がもうもうとたちこめていた。
奈良県代表だった井形大作少年(15)は、
ただただ、その場の雰囲気にのまれ、
緊張のあまり楽屋の隅で一人縮こまっていた。
井形大作(15)はソロシンガーであった為、
自分の自慢話をしたくても話し相手がいないのであった。
手持ち無沙汰から、未成年のブンザイで
ショ-トホープをたて続けにスパスパやって激しく咳き込み、
目を充血させてほとんど貧血状態のようになっていた。
おかげで、本番で曲を演奏している最中に
2回くらい、頭がクラッ!ときた。
目の前が真っ暗になった。
歌詞が飛んでしまい、
その場で適当にごまかしたことを今でもよく憶えている。
もしあの時、ステージ上で倒れていたら
「ポプコンに出場した未成年が、煙草を吸いすぎてステージ上で昏睡!」
などと大問題になって、
ニュースになって、
新聞にも出て、
奈良県立大淀高等学校の校長に緊急連絡がなされ、
親が呼び出され、
停学処分になって、
「未成年はポプコンに出たらあかんのやで」
という、はげしい取決めがなされていたかもしれない。
しかし、まあ、幸い、そんなことにはならずにはすんだのである。
というか、いっそのことそうなってくれてしまっていたほうが
「未成年喫煙昏睡歌手」
として、顔が売れていたかもしれないが…。
その時、出場者の中で、昏睡しそうになっているわたしこと井形大作(15)に
優しく声をかけてくれた人がいた。
…次号へ続く…