2011 8月
   「歌手がバセドウ病になったなら ①」

それはいまから16年ほど前、わたしが33才の時であった。

わたしは持病であった「バセドウ病」の根治のために、
甲状腺の切除手術を受けた。

「バセドウ病」というのは、喉のところにある甲状腺というものが肥大化し、
機能が暴走し、体に悪さをするのである。

本来なら甲状腺が肥大化、機能が暴走する原因をつきとめて、
その原因に対して治療をほどこすべきであるが、
今のところ、その根本的な原因、治療法がよくわかっていない。

だからこの肥大化した甲状腺を働かなくさせるために、
大部分をちょん切って甲状腺を大人しくさせてしまおうという、
よく考えたら実に荒っぽい対症療法である。

その手術の際、
執刀医が誤って、声帯を動かす神経を傷つけた。

手術後すぐに、わたしは自分の声の異変に気がついた。

声がガラガラである。

調べるとキーが4音下がっていた。
ギターでいうと8フレット分である。
ピッチのコントロールもままならなくなっていた。
まるで二日酔いでベロベロになったトム・ウエイツのような声である。

「こんな声にして、どうしてくれるんだ!」
わたしは執刀医に詰め寄った。
執刀医は
「そのうち治るから」
の一点張りであった。
「そのうちって、いつですか!」
わたしはトム・ウエイツばりの声ですごんでみせた。
「半年くらいでしょう」
と、執刀医は言った。

ところが1年を経過しても、2年を経過しても3年を経過しても、
わたしの声は治らなかった。

プロの歌手になるとか、ならないとかの話ではなくなっていた。
なれるわけがなくなってしまったのである。
時々聞こえてくる、隣のおばさんの鼻歌のほうがよっぽど上手い。

もしこの時点でわたしが大金を稼ぎ出すプロの歌手であったなら、
病院を相手取って損害賠償請求でもおこしただろうが、
わたしはただの自称歌手。
しかも赤字&借金歌手である。
わたしは泣きたくなった。

どうしょうもなかった。

わたしは歌手になるのをあきらめることにした。


                (次号へつづく…)