(…先月からのつづき)

さて、バセドウ病の手術が失敗し
(もちろん医者は「失敗した」とは口が裂けても言わないが…)
声が出なくなったあはれな「自称歌手」の井形大作は、途方にくれた。
(今から16年前の話である)

約1時間の手術を境にして、
何のために生きていったらいいか、まったくわからなくなってしまったのである。

「音楽をやるため」として、
長年我慢して続けていた深夜の単純作業のバイトも、
とたんにアホらしくなってやる気が失せた。

「アイデンティティーを喪失する」とはこのことである。

とにかく、やることが何もなくなった。
金もない。
はげましてくれる彼女もいない。
家にいても落ち込むばかりである。
わたしは深夜であろうとわけもなく、近所をほっつき歩いた。

「路頭に迷う」とはこのことである。

33歳になってようやく人生を確立するどころか、
33歳になって突然の空中分解である。

そのとき出会ったのが、いまやっている「ヘルパー」の仕事であった。

自分が福祉の仕事をするなど想像すらしていなかったが、
とにかくやっていて何か「意味」の感じられること、
「生きてゆく手応え」のようなものを強烈に欲していたわたしは、
わらをもすがる思いでこの仕事に飛びついたのであった。

その仕事を通じて、様々な障害や難病をかかえながらも
懸命に生きている人々との出会いがあった。

普通に生活している限り、ほとんど接することのない人々である。

わたしはそのとき、
アントニオ猪木に30回くらい往復ビンタをくらったほどの衝撃を受けた。

わたしは自分がいかに小さなことに、
贅沢に悩んでいるかを思い知ったのである。

つまりこういう事だ。

わたしは好きな時に好きな所へ自分の足で行ける。

毎日おいしく食事をすることができる。

うんちがしたくなったら、誰に相談する必要もなく
勝手にトイレに行って用を足すことができる。

身体のどこかが四六時中痛いこともない。

常に胸がむかむかと気持ちが悪いこともない。

こんな幸せなことは、実は他にないのである。

声が出しにくく、歌が歌えないことくらい
「それがどうかしたか」
といったことなのである。

かといって、だがしかし、
そんなに急に気持ちが割り切れるわけでもなかった。

わたしはヘルパーの仕事に没頭した。
時間の許す限り、来る仕事はすべてうけた。

それは一方では、自分のことをほんの一瞬でも
忘れるためでもあったような気もする。


                (次号へつづく…)
                               

2011 9月
   「歌手がバセドウ病になったなら ②」