やまがたすみこさんは、わたしより6つ年上のお姉さんである。
と、なれなれしい表現で書いてしまったが
もちろん実の姉ではないし、直接お目にかかったこともない。
やまがたすみこさんは、1970年代に活躍していた、
シンガ-ソングライタ-である。
わたしは中学生のころ、彼女の密かな大ファンだったのである。
「密かな大ファン」
と書いたのにはわけがある。
中学2年生のころ、はじめてギタ-を手にしたわたしこと井形大作は、
当時流行っていた吉田拓郎や泉谷しげるの曲を、
近所の友達と一緒に、連日歌いまくっていた。
美声というよりは、
ガラガラ声でがなりたてる男っぽいフォ-クソングを好んだわたしは、
それを歌うことで、
社会や大人たちに反抗しているような気になって、
親にかくれてタバコをふかしたりなんぞしながら、
とんがったライフスタイルを構築しているつもりになっていたのだ。
それにひきかえ、
やまがたすみこお姉さんの声は、透きとおるようなハイト-ンで、
曲もきれいで、お顔のほうも、すこぶるきゃわゆかったのである。
「やまがたすみこのファンである」ということと、
わたしが実際やっていることのあいだのギャップが大きすぎた。
中学生のわたしには、
そのギャップを自分の中で、うまく消化することが出来なかったのであろう。
だからわたしは、自分がやまがたすみこのファンであることを
どうしても友達たちに告げることができなかった。
それは、トップシ-クレットであった。
やまがたすみこのレコ-ドを買いに行くときは
綿密な計画をたてた。
いつも通っている、顔なじみの店主がいるレコ-ド屋はさけて、
隣町のレコ-ド屋へ。
それも、若い女性店員などがいないときを見計らって、
音楽のことなど何も知らなさそうな、
おじいさんのような店員がいるときを狙って、
何食わぬ顔で、しかし汗だくになりながら素早くレコ-ドを買った。
まるで、エロ本を買うような感覚である。
レコ-ドを聴くのも、簡単なことではなかった。
家族に勘付かれると、マズイからである。
わたしは家族がみんな出払って
おばあちゃんだけしか家にいないような時に、
押入れの戸袋の中に隠しておいた
やまがたすみこの「あの日のことは」(LPレコ-ド)をそっと取り出し、
曲を聴くのであった。
そんな時、親が帰ってくる物音なんぞが聞えようものなら
わたしはすぐさまレコ-ドから針を降ろし、
すばやい身のこなしでレコ-ドを押入れの奥に隠すのだった…。
ひょっとしたら!
わたしのような隠れファンばかりだったから、
やまがたすみこはあまり売れなかったのかもしれない!
ネットオ-クションでアナログ盤を入手して、
(けっこう高値で売買されている)
今でもときどき聴いているわたしである。
やまがたすみこ「風に吹かれて行こう」